カイムは少女の境遇を深く考えた事は無かった。
考えないようにしていたのではなく本当に考えもしなかった。
そもそもこの少女を連れまわしているのは自分の持つ憎しみと怒りを静めるためであって、
そのためにいかに苦しめてやるかというのが当初の唯一の目的だったのだ。
なのに何故この少女のことを考える必要があっただろう。
少女はカイムにとって憎い存在であって、それだけの存在だったのだ。
しかし心が落ち着き始めた今、この日。カイムはぼんやりと小さな炎を見ながら、
なんの躊躇いもなく、というよりは自然に、
初めてマナの背負う罪ではなく、マナ自身のことを考えだした。
静かに眠るマナの顔はやつれ、見る者の憐憫を誘う。
マナは歳相応の顔をしていないと思う。顔つきは子どもだが表情が無いのだ。
カイムが思い浮かべられるマナの顔はあの時の狂気を帯びた笑顔と怒り、そして怯えた顔ばかりだ。
寝顔さえ苦しげな、今さっきまで泣いていたような顔をしている。
カイムはそれ以外知らないし今までそんなことを考えたこともない。
なぜこうなってしまったのだろう?元はただの少女であったはずなのに。
この小さな少女が世界を滅ぼしかけたなどと、よく考えれば馬鹿馬鹿しい話だ。
――だが、事実だ。
カイムはそう思った。今は怒りというより虚しい気持ちしかわかなかった。
失ったものに対する気持ちさえもなぜかわき起こらなかった。
夜の静けさが落ち着き始めた心を穏かにしているのか。
よく分からないがマナが母親に愛されず、そのせいでこんなことになったことはわずかではあるが知っている。
――母親に愛されなかったぐらいで・・・・
あんなことをしでかすなんて理解できない。なんて馬鹿馬鹿しく、愚かしいのだろうと。
・・・思っていた。
しかしよく考えて見れば、それはこの少女にとってそれだけの意味があったのではないかと。
だからといって世界を滅ぼしかけていいはずはないが、そうだったのではないかと今初めて気づく。
幼い子どもにとっての母親とは偉大な存在だ。幼い子どもがまず求めるのは母親だ。
母親の愛だ。
そして父親の愛、周りにいる誰かの愛。
せめてどれか一つがあれば・・・
でも、この少女にはどれもなかったのだろうと思う。
もし自分が母親に愛されることなく、父親にも、周囲の人にも愛されなかったら?
――どんな気持ちだろう?
マナがわずかに身を動かした。苦しげに眉を寄せる。
・・・嫌な夢でも見ているのだろうか?
マナは初めの頃よく「お母さん」と言って泣いた。
「お母さん許して、助けて」と。世界にではなくそうやって「お母さん」と言って泣き叫ぶのを見ると
ウンザリするような清々するようなしないような微妙な思いだったが、とりあえずこの娘を苦しませるという目的は果たせていた。
カイムが傍にいては当然のごとくマナに手を差し伸べる者はなく、
マナはいつしか「お母さん」と言わなくなり、黙ってすすり泣くようになった。
カイムはそちらのほうが気分が晴れた。
・・・・・・。
そういえば昼間、無邪気に駆け回る数人の子どもを見た。それを見守る母親たちを見た。
マナは彼女らを見てどう思ったのだろうか?
カイムはなんの感もなく彼女らの傍を通り過ぎた。ふとマナを見たが
旅の間中ずっと下を向いているマナの表情を窺うことはできなかった。
愛を知らない・・・というのはどんなものなのだろうか?
誰にも愛された事がないというのは。
そこになによりも愛を向けてほしい、向けられるべき相手がいるのに。
周りの子どもたちが母親から愛されているのを見て、この少女は一体なにを思っていたのか。
この少女は神に目を付けられるほどに、そんなに愛を渇望していたのだろうか。
「お母さん」からの。
そして本当に今まで誰にも愛してもらえなかったのだろうか。
誰からの愛も知らず生きてきたのだろうか。
――――寂しいんだろうな。
少なくとも今現在も、この少女は誰からも愛を向けられてはいないだろう。
カイムには傭兵となってからもフリアエがいた。
フリアエはカイムの最後の家族だった。
カイムはフリアエを愛していたし、フリアエも自分を想っていてくれたはずだ。
結果的に自分はこうも歪んでしまったが、今思うと離れていても心はつながっていた。・・・と思う。
フリアエを失ってからも、カイムにはアンヘルがいた。
それは今だって、今ここにいる瞬間だってそうだ。
生きているだけで、アンヘルの存在を感じられる。守られている気がする。
カイムはそういう意味では一人ではない。
誰にも愛されない、愛されていない。愛されたことが無い。
本当の孤独とはそのことを言うのか?
世界を滅ぼしかけるほどの孤独。
両親や色々な人々からの愛を一身に浴び、また自身も彼らを愛して。
一番それが必要だった子どもの頃、愛にも、また生活も何も不自由しなかった彼にはそれがどういうものか分からなかった。
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