マナと旅を始め、数年。二人の関係は当初からは全く違うものへ変化していた。
カイムの心が怒りや憎しみをほとんど忘れ始めていたからだった。

カイムは、自分は一生血生臭い世界に住む運命なのだと思っていた。
カイムはそれを当然のように受け入れた。
いや、それしかないと諦めていたといったほうが正しい。

カイムは両親と国、そして妹を失ったとき、悲しむことよりも憎む道を選んだ。
敵を殺し、復讐を果たす道を選んだ。

毎日誰かが血を流す。そこには怒りと恐怖と強い憎しみしかない。
自分を覆う殻がない。
カイムはその開放的な世界を憎んだ。だがその一方で、ある意味ではあるが愛してもいた。
人を殺すことで得る生きがい。
カイムは、大義名分をあげながら、心の中では殺戮を楽しんでいたのだった。
剣を振り回し、人を斬る。血が流れる。
それを見るとカイムの鬱々とした気持ちは晴れた。
それに気づいたのは、妹を守るため戦に身を投じてまもなくのことだった。
そしてそのまま、その気持ちは強く育っていった。

それ以前には全く知らなかった感情。理解できなかった感情だったのに。
自分がそんな人間であったことに気づいた時の苦しみはすさまじかった。
人はこれほどまでに変わってしまうものなのかと。それとも自分は最初からこんな人間だったのかと。
だが、それまで孤独というものを知らなかったカイムはそれにすがり付くほかなかったのだ。
自分自身が生きるために。

そしてカイムはマナを憎んだ。自分を醜く変貌させた少女を、自分からすべてを奪った少女を憎み、
苦しめ続けて生きることを決意した。
しかし、時間によって癒された心は、マナへの憎しみを弱くした。
憎しみが弱くなるごとに、戦に身を投じる以前にあった感情ばかりが蘇った。
カイムは怒りや憎しみではなく、優しさや暖かさを思い出し、求めはじめた。

もう自分の中から消えたのだと思っていた。
昔の自分はもういなくなってしまったのだと。

だが、争いの無い日々の中で人々の営みを目にし、その恐怖や悲しみのない声を聞き、過ごすなかで。
以前は当然のようにあった、人々が血を流さぬ日々を過ごすなかで。
カイムは思い出し、気づいてしまったのだ。
自分がどれほど、心の底でかつての静かで穏やかな日々を懐かしんでいるか。
血に染まった自分の心が、その日々にたまらなく焦がれていることを。

カイムは、以前は思い出すだけで苦しかった幸せな思い出を、胸の中につっかえるような切なさを覚えつつも、
しかし穏やかに思い出すことができるようになった。
人々が笑い合って交わす他愛ない会話。子どもの笑い声。
雲が流れる空。風の音。草木が風に揺れる音。静かな夜に穏やかに燃える星。
血を知らない、穏やかで平和な時間。
そして。家族。
父と母の自分に向ける優しい目。妹が駆け寄ってくる足音。
愛する者達に向ける暖かい気持ち。
カイムはそれを思い出した。思い出すことができたのだ。

また。
また再び。
こんなにも穏やかな気持ちになることがあろうとは。

それはふとした瞬間に思い出された。
街を歩き、人々が交わす挨拶を聞いた時。食事をする時。ふと空を見上げた時。羽ばたく鳥の声を聞いた時。
もちろん、アンヘルと話すときもまた。
孤独の中、自分にはただ彼女だけと、縋りつく様な想いで聞いていたアンヘルの声にはいつしか、
純粋な幸せを感じられるようになった。
彼女もそれを感じ取り、封印の苦しみの中にあってその気持ちをカイムと共有していた。

争いのない日常がこんなにも心穏やかなものだったとは。
人を殺すことのない日々をまたこんな風に、こんな気持ちで過ごせる日がこようとは。

そして、マナと過ごす時間。マナと並んで歩く道。
以前の二人が嘘のように、二人の間には穏やかなもの生まれつつあった。
険しい山道では二人は手をつなぐ。 やがて緩やかな草原に出ても、しばらくはそのまま歩いた。
それは以前のように荒々しいものではなく、二人は同じ速度で歩いた。

手を繋いで歩く。かつてはそんな日々が当然のようにあった。
そう、幼い妹とともに過ごした日々。
フリアエは自分と並んで歩く時は大抵自分の手を握ってきた。
自分の手に比べるとはるかに小さなその手をカイムは必ず握り返した。
そのたび、カイムは妹を守りたいと思ったのだった。
フリアエの小さな手を思い出す。

マナの手も同じくらい小さかった。